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プロフィール


プロフィール情報(2020年1月1日現在)

名前・・・・・・・内野 徹(うちの とおる)

生年月日・・・1971年4月2日(現在48歳)

出生地・・・・・札幌市豊平区(現在地名 札幌市清田区)

親兄弟・・・・・父(他界)・母(施設)・姉・兄

家族・・・・・・・現在は独身

趣味・・・・・・・テレビ観戦(ニュース番組とスポーツ観戦) ドライブ

好きな食べ物・・・甘い物全般

嫌いな食べ物・・・きのこ類(特に椎茸は無理)

好きな芸能人・・・福山 雅治さん(あこがれ)

           堀北 真希さん(かわいい)結婚してしまいましたが・・・

           ちなみに、本田 圭祐さんも好き(ポジティブな所)    

最終学歴・・・・・・・高卒(普通科)

 

 

 


職務経歴について

プロフィールにも書いていますが、私は高校在学中に 「自分のお金が欲しい!」 との思いが強く、高校卒業後すぐに就職を決断しました。就職先は「トステムビバ北海道(株)」今は(株)LIXILビバに社名変更かと思われます。お解りの方も多いかと思いますが 「スーパービバホーム」 を構えているホームセンターですね。就職した当時は、まだ北海道に店舗が無く、これから店舗展開の時期でした。そこで私は北関東にある店舗に配属になりカー用品売り場を担当する事になりました。

なれない地域でもありましたが、多くの方たちと触れ合いながら徐々に地域にも慣れていきました。数年後には同県内で店舗の移動もあり、それでも私は売り上げと葛藤しながらもお客様との接客業を学びました。

その後家庭の事情でやむなく同社を退社(わずか3年半)する事となり、札幌へ帰郷

 

札幌での仕事始め

帰郷後すぐに就職活動を始めたのですが中々就職出来なかった事もあり、とりあえずアルバイト生活が始まる。

ホテルウェイターやレンタカー会社の裏方業務、また同じようなホームセンターでのアルバイトなど基本お客様との接客業務が自分には向いている気がしてアルバイトを経験させていただいた時に、某ホームセンターに就職が決まって晴れて正社員として日々奮闘記が始まる。その時の持ち場は家電売場の担当でした。いわゆる電化製品ですよね!

電化製品は消耗品(電球とか電池)と大型家電(テレビや冷蔵庫などの高額品)とありますが、大型家電は消耗品と違いお客様のニーズを伺いながら提案するとゆう今までの接客業とは部類が違う・・・いわゆるお客様との接客時間が長い、そして私の話しを終えると最後にはお客様から「じゃ、これお願いしますね」と言われる。

私の中では、これが接客営業なのかとその時確信したのでした。そして、より接客業を勉強するようになり自分なりに接客業を構築していきました。売り上げははっきりとは覚えてはいませんが、そんなに良かった方ではなかった記憶があります。

そうこう月日が経過していく中、北海道帯広市のとある店舗への転勤命令でした。私はすごく悩みましたが、断ってしまいました。(おそらく札幌から離れたくないとの理由だけだったと思います)  

結局、転勤をお断りとなると必然的に会社を退社せざるを得ない状況で、またまた退職。

 

2回目の就職活動

無職のまんま、自宅で求人情報誌を見ていたら、冠婚葬祭事業のしかも高い給料が掲載されていました。

私は早速履歴書を送付し、すぐに面接の連絡が入りすぐ就職する事が出来ました。  しかし、正社員雇用とゆう訳ではなく契約社員みたいな感じでした。いわゆる歩合制と言ったら解りやすいでしょうか。今までとはちょっと違う給料体系だったのですが、自分がどこまで出来るかはチャレンジしてみました。なんとか、研修のノルマも達成する事が出来、その後は個人の代理店として20代半ばの私が、「名刺に店長」と肩書がついたのです。しかし、そこは完全に営業・・・ノルマとゆう訳ではないのですが、結局お客様からの契約が無ければ私に手数料が入ってこない、いわゆる完全歩合制とゆう事ですね。  実はその頃私は家庭を持っていました。生活費が全く足りない状況で来る日も来る日も毎月家計は赤字。生活する為には結局は借金をしてしまう・・・

当然、自転車操業となってしまい、代理店は一年で閉店。そして家庭も崩壊・・離婚となる。 その後どうしようかと悩んでいた時に、当時の上司から葬儀のお手伝いをしてみないか?と言われ、報酬もそんなに悪くなかった為、お願いする事に。

最初は、葬儀のお手伝いと聞いてもピンとこなかったのですが、いざ始めてみると自分なりにやりがいのある仕事、そしてお客様から「ありがとう」の感謝の言葉を何回かいただきました。正直自分では天職だと思いました。

 

接客業としてのプロへの道

葬儀のお手伝いとの名目ではありますが、ご遺族様からは「担当者」として見られる事もあり、プロになりたい!お客様のお役に立ちたい!の思いが徐々に強くなっていき、私はスキルをどんどん現場で向上していきました。結果もついてきて生活も徐々に復活していき、営業葬祭業を10年以上勤めさせていただきました。葬儀とゆうのは、普段みなさんがあまり意識の向かない儀式のひとつだと思います。当然ご遺族様はいろんな悩みが突然発生し、途方に暮れている時、私は仕事の一環として自らお悩み相談を受ける事にしたのです。(もちろん相談料などはありません)お客様のお役に立ちたい!ただそれだけの思いです。私はコーヒー一杯で何時間もご遺族様の悩みを聞いていました。私の出来るアドバイスをさせていただくと、ご遺族様の表情は安堵の表情に変わっていった姿に私は心の中で「少しでもお役に立ててくれて良かった」とやりがいを持っていました。そんなある日、新しい営業部署へのお誘いがありそちらへ移ったのですが、私自らの失言により人間関係でいずらくなりやむおえず退社する事になってしました。一般的に言う、自業自得ってやつですね。

 

人生最後の就職先

退職後はすぐに就職先を探さなければ生活苦になると思い、必死に就職活動をしていた中、ご縁があり某保険代理店にお世話になる事になりました。実は、葬儀と生命保険は全く無関係ではなかったし、営業も少なからず経験してきたので頑張ってみようと思いました。生命保険を販売するには募集人資格が必要との事もあり、まずは試験に合格しなければ何も始まらないと思い上司から、試験合格後の事を考えなさいとのお言葉。いわゆる営業先ですね。

月日が経過し、募集人資格も取得出来た事もあり、私は友人・知人へ営業して回ったのですが、思うように成果が出ない。

生命保険は難しいな~と悩んでいながら私の今までの接客業が活かされていない、営業は接客ではないのか?と休みの日にはよく「営業ノウハウ」などの成功本を読んでいたのですが、来る日も来る日も成果が出ないと、ネガティブになってしまい、いざお客様に会えるとコンサルティングどころかいきなり、新しい保険を提案していました。今思えば「売り込み」だったのですね。

結果、保険代理店ではほとんど成果が出ないまま退職する事になってしまったのです。(わずか半年)

 

どん底からの挑戦

保険代理店を退職してまた就職活動しなければ・・・と思いつつ中々ハローワークには足が向かない。たま~にハローワークの中まで入って求人情報を見ても結局は選んでしまう。そんな日々が続いていく。しかも収入が全く無いのに支出は無くならない。(当たり前の話しですが)

貯金は全くありません。また借金をしながらの生活が始まり月日が経過すれば支払い期限が迫ってくる。自転車操業も限界・・・アルバイトもしていましたがお小遣い程度の為、黒字家計になる事はありませんでした。就職先も見つからず、借金だけが増えていく。とある日、無意識のうちに私は某スーパーの駐車場に車を停めていました。何を考えていたかは覚えていませんが、おそらく「これで人生終わりかな」を考えていたんだと思います。(全くの無意識なんです)

おそらく、自分で自分の事を相当嫌いになっていたものと思います。しかしこのままではダメだ、なんとかしなくては!私はすぐさまスーパーの駐車場を後にしました。向かった先は本屋です。その時なんとなく目を通したのが資格取得の雑誌でした。その中で、税理士や弁護士など有名士業のページを見てても学歴が高卒なだけに受験資格もない状態。そんな中、ファイナンシャル・プランナーの1冊に出会ったのです。受験資格もクリアー取得後は自営として独立も可能と書いてありました。開業資金も安くすむ。すぐさま私は資格取得の為のテキスト本を購入し、自宅で夜な夜な勉強していました。

まずは試験を一発で合格!

ファイナンシャル・プランナーとして今までの経験を生かして独立生活!と夢を見ていました。試験勉強も順調に進み、3級そして2級と続けて一回で合格する事ができ、いざ開業してコンサルティング営業だと言っても、誰も相手にはしてもらえませんでした。それは、資格保有とゆうよりも金融コンサルティングの経験がほとんど無いに等しかったので誰も相手にはしてもらえなかったのです。

 

中々、自営が軌道に乗らなかった事もあり、自営は一時ストップし、アルバイトを掛け持ちする日々が続いていた中で、とある知人からの勧めがあり、保険販売をする事になりました。最初のうちは、契約とゆう所まではいかなかったのですが、コンサルティング営業(すなわち相談業務)を重視してお客様と向き合いました。すると、少しずつご契約してくださるお客様も増えていき、自分には「コンサルティング」が向いているんだとようやく方向性が固まりました。

商談数も徐々に増えていく中で、お客様の様々なお悩みを聴かせていただく日々が多くなり、私の大切なお客さまが「悩んでいる・不安に思っている」を見放す事は性格上できません。

収入になるとかではなく、「私に相談してくれた事に心から感謝の気持ちを抱き、必ず解決方法がある」と考え、お客さまに調べさせるのではなく、自らを窮地に追い込みながら必死で解決策を考えました。

早速、お客さまへ解決方法をいくつかお伝えすると、「やっぱりあなたに相談して良かったわ」とすごくうれしいお言葉をいただけました。

内容は、生命保険の見直しと資産運用(リスクが低いローリスク・ローリターン)の解決方法でした。

お客さまはすぐに実行する運びとなり、3ヶ月後から家計が安定しておりました。

結果として、これが家計見直し」・「家計改善」だと私は思います。

 

私と同じ境遇の方は少ないと思いますが、私が自分で経験してきたのをプラスに考えてみなさまの一助になれればと思いながら家計とお金の相談センター」を本格スタートさせていただきました。